後悔、あるいは懺悔

f:id:hachi-no-text:20181113020338j:image

何をどうしても、もう昔には戻れないという、ある意味で残酷な事実がある。

僕は今まで、友達を傷つけた経験が多いと思う。

 

その分、自分に返ってきただけだ。

その分、自分が傷ついただけだ。

 

A君の頭を叩いて泣かせたことがある。

その後もA君は僕の家に来てくれた。

B君をみんなで仲間はずれにしたり。

その帰り道には、B君とふざけながら帰った。

 

A君もB君も純粋だった。いい友達だった。

その純粋さを利用したのは、きっと僕で。

 

あの頃に戻れるなら、誰も傷つけないのに。

でも、もう遅いから。

傷つけた本人に会った時に、謝るしかないのかな。

謝っても、あの時の行動は取り戻せないけれど。

 

灰色の思い出

f:id:hachi-no-text:20181113015946j:image

ときどき、頭の中に「ふざけるな!」という声が響く。

小学校5、6年生の頃、隣のクラスの先生が言ってた言葉。

黒板を「バン!」と叩きながら「ふざけるな!」と言ってた。

 

あの時は、卒業式の練習だったかな。

みんなの声が小さいことを指摘するための行動だった。

その後、僕は少し怒りやすくなった。

 

カップ麺が途中で切れたりすると、ラーメンに怒って。

袋が上手く開かないと、袋に怒って。

そのあと、自分は何やってるんだろうって思って。

嫌な気分になった。

 

あの時の先生の言動は、どこかでまだ残っている。

何もないのに「ふざけるな!」ってどこかで聞こえる気がした。

循環する何か

いよいよ寒くなってきた。

年末は寒いし、年始も寒い。

一年の中頃が一番暖かい。

 

なんでだろう。

それはきっと、日本だから。

北半球と南半球で、季節は逆になるらしい。

自分の立ち位置で、暖かい、寒いという感覚は変わってくるらしい。

 

きっと、循環するものは大体そんなものなのだろうな。

幸せや、不幸せや。

「輪廻転生」という言葉においても。

もしかすると絶対的な終わりを設けないことで、

辛いままで終わりたくない、という願望を表しているのかな。

今更

自分なんてものは存在しない。

そんなの頭では分かっている。

でも、やっぱりどこかに求めてしまうじゃないか。

自分の所在というものを。

 

僕の心は砂でできているように脆い。

だから、何者にも干渉されないように周りを囲って。

煮ることも焼くこともできなくしたら。

相手が何を考えているのかわからなくなってきて。

自分が何者かもわからなくなってきた。

 

自分を取り戻す。

自分が自分である感覚を取り戻す。

これは、そんな練習。

言いたいこと

僕には今、伝えたい内容がほとんどない。

ここ数年で、ほぼ全部吐き出してしまった気がする。

気持ちの動揺が収束してきたのと同時期に、伝えたい欲求も収束してきて。

 

振り返ると、死にたい日もあって。

誰かに感化されて泣いたりしたけど。

心揺さぶられる何かがあるわけでもなくて。

これからは惰性で伝えていく気がする。

 

大人になったら忘れてしまう純粋さというものが、

僕にはもうないのだろうな。